団塊おじさんの父は、90歳の生涯をまっとうして、苦しむことなく『そのトキ』を迎え、私達家族は 『コト』が起こってからいろいろな人に助けられ、励まされて?『そのコト』を何とか世間並みに終える事が出来ました。
ものすごいパワーが必要でした。団塊のおじさん以外にも、毎日あちこちで『そのコト』を不安な気持ちを持ちながら、くたくたに疲れながら、パワーを出しておられる家族の方が多勢おられます。
団塊おじさんの父は、90歳の生涯をまっとうして、苦しむことなく『そのトキ』を迎え、私達家族は 『コト』が起こってからいろいろな人に助けられ、励まされて?『そのコト』を何とか世間並みに終える事が出来ました。
ものすごいパワーが必要でした。団塊のおじさん以外にも、毎日あちこちで『そのコト』を不安な気持ちを持ちながら、くたくたに疲れながら、パワーを出しておられる家族の方が多勢おられます。
団塊おじさんの「そのコト」について未体験ゾーン最後?の大仕事は初七日法要でした。
料理旅館にその会場をお願いしました。「法要って食事をするだけで何もないんと違うの?」
いえいえ、
団塊おじさんの父の『そのコト』はお通夜から、告別式の当日を迎えました。すべては予定通りに進みました。最近は告別式が終わり、斎場から帰った後引き続き「初七日法要」をしました。
遠くから来ている親戚などの事を考えると、合理的?なことなのかも知れませんね。
すべてが未体験ゾーンの団塊おじさんは、引き続き緊張の連続です。
団塊おじさんの『そのコト』の間でつらかったことの一つに、食事があります。朝から食事らしい食事をとっている時間も、何もないまま『そのコト』の未体験ゾーンへの突入が始りました。
次々と入れ替わり立ち替わりいろいろな人が自宅に来て、昼過ぎに父は住み慣れた自宅から葬儀が行われる会場へと旅立って行きました。
団塊おじさんの場合、『コト』が起こってお通夜の受付に親族の若い二人を指名しました。
親戚からの香典の授受と、ご近所・友達からの香典の謝辞はその使い分けをうまくしてくれました。
それは、やはり親戚の顔と名前がほとんどわからない二人のために、団塊おじさんが受付横にいて
うなづいたり、首を横に振ったりと、香典授受のイエス・ノーの指示を出していたからでした。
団塊おじさんの場合、静かに父を見送りたいという気持ちから、『そのコト』を家族葬としました。ほとんど親戚ばかりですから生前の話などをされると、つい目頭が熱くなる場合がありました。
大勢の方にお参りいただき、『そのコト』を盛大に行うことも、良いのかもしれませんが、参拝者の数が多いほうが決して良い『そのコト』で、父のより良い供養になるとは団塊おじさんは思いません。
団塊おじさんの場合、『そのコト』は、親戚だけの身内で家族葬として『コト』を行う事にしました。
しかし、自宅近くの人や、会社を休む届けを出す関係で、どうしても一部の人には家族葬といってもおまいりに来ていただく方がある場合があります。
香典ですが、親戚からは香典はもらう事にしました。親戚は香典辞退といっても「うちの場合、香典をもらっているのに、今回は受け取ってもらえないとは・・・」という事になると困るので、コトが起こった場合、親戚からだけはお互いに香典を受け取る決め事になっています。
団塊おじさんが自らの経験に基づいて作成した『誰も教えてくれない臨終から葬儀・お斎のチェック項目』。まったく興味を示さない方も含めて、皆さんと一緒にそのポイントを整理していきたいと思います。
好むと好まざるとに関わらず、「その時」はみ~んなに平等?にやってきます。ただ人によって、「その時」が早いか、遅いかの違いはありますが・・・・。
団塊おじさんの場合、『コト』が起こってあちこちに電話を掛け続けました。その経験から、
『コト』が起こった時に電話をかけた関係先をその都度メモして、書き加えながら電話番号の一覧表を作っておく事をおすすめします。
一回連絡した先には、繰り返し連絡を入れて確認する事態が発生する可能性が高いです。電話機のそばにいつもいるとは限りません。自分の携帯の電話番号も必ず相手に伝えておきましょう。
団塊おじさんの場合、90歳の父から常日頃から「わしが死んだらな・・・・」といろいろな事を聞かされていました。例えば、父の勤めていた「会社への連絡をすること」です。
子供達が現役の場合、子供達の勤務先へ連絡するのは当然ですが、「亡くなった人が55歳まで、又は60歳まで勤めていた会社。しかも、30年も前に退職した会社に・・・迷惑やろなあ~」と。
団塊おじさんは「誰も教えてくれない臨終から葬儀・お斎のチェック項目」として、平成20年8月に経験した事を別表にまとめました。
死亡診断書作成依頼からお斎まで、細かいチェック項目を記載しております。閲覧用と印刷用を作りましたので、是非ご利用ください。
団塊おじさんは葬儀社との付き合いなど、今まで全くありません。でも高齢化の今、この種の仕事をしている人達を、あたまから毛嫌いしていたのではコトは前に進みません。
ドクターにはあたまが下がりましたが、この仕事をしている人達にもその仕事振りを観ている間に想像以上に大変なお仕事だと思うようになりました。
団塊おじさんが葬儀社の人が来るまでの間に次にしたことは、親戚への連絡でした。
父は三男で兄弟の中で最後に残った人でした。親戚関係の中では最も高齢で、兄弟や親戚の葬式にも顔を出し、順番から行けば今度は父の番でした。
親戚の中でも本家筋と分家筋があります。いわゆる長男筋とそれ以外筋、葬式には出ていても自分で経験したことのない分家筋の団塊おじさんは、迷わず本家筋の長男の家に電話をしました。
団塊おじさんの90歳の父は人生最後の朝を自宅で迎えました。まだ早いのに「あっち」に逝ってしまいました。ドクターに聞きました 「先生有難うございました。私はこれから何をすればよいのでしょうか?」
ドクターは答えました 「まず、葬儀屋に連絡しなさい」「クリニックに帰って『死亡診断書』を書きますから後から取りに来てください」「役所に提出する書類に必要ですから・・・」
団塊おじさんの90歳の父親は「あっち」に逝ってしまいました。眠るように静かに苦しむことなくその日の朝を迎えました。
「ちょっときてくれる? おじいちゃんの様子がおかしいんやけど・・・」危篤状態を脱してから二週間、家族の間にも緊張感が少し緩み、お毎日の看護生活にもリズムが出来てきた頃でした。
団塊おじさんは90歳の危篤状態を脱した父親の終末医療方針が、お医者さまの考えておられる方針と同じである事にほっとすると共に、こんなに献身的に医療行為をしていただけるお医者様と出会えてうれしく思いました。
いまどき、土日、早朝、深夜の関係なく、自宅に酸素吸入器まで持ち込んで一生懸命に対応していただけるお医者様なんて、そんなにいらっしゃらないと思います。
団塊おじさんの90歳の父親はお医者さまの懸命の治療で何とか危篤状態を脱する事が出来ました。心配そうに危篤の電話で駆けつけてくれた身内も、一安心してくれました。
一夜明け小康状態を保つ父の姿は、昨日までとは一変していました。口から酸素が常時吸引され、ベットで眼を閉じている様子は、明らかに病状が一歩進んだ事をあらわしています。
団塊おじさんの90歳の父親が一度危篤になったことがありました、7月20日です。いつもと違う苦しそうな呼吸をしている容態を見て、日曜日の夜でしたがお医者様の携帯に電話をしました。
しばらくして、お医者様が大きな身体で汗を拭きながらきていただきました。
「先生、いつもと違うようですが・・・」「そうですね、危篤状態ですね。」・・・・・・・・・?
団塊おじさんの場合は恵まれていました。90歳の父が要介護4の状態になったとき、自宅近くの開業医に往診の依頼に行きました。
初めての医者で90歳の父が一度も罹った事がなく、ただ自宅から徒歩五分にある開業医というだけでその医者の門をたたきました。
団塊おじさんはもちろん昭和23年生まれの団塊世代です。ちょうどこの60歳前後の世代の両親は、ご健在であれば90歳前後のお年になっておられるのでは・・・。
団塊世代もすでに60歳、そのご両親は?、もうすでに・・・? あるいは、ご健在であっても介護が必要になっている場合が多いのではないでしょうか?