団塊おじさんの母の話をします。後期高齢者の母は84歳、父が八月に亡くなってから、一人暮らしの生活をしています。
お葬式前後の、人の出入りが激しかった時は、何がなんだかわからないまま、あちこちの人に言われるままに過ごしていましたが、忌明け、納骨を一つの区切りとして人の出入りがなくなり、ようやく落ち着いた静かな毎日となりました。
母の家と団塊おじさんの家は四軒離れているだけです。今年の六月に父が寝たきりになってから、仕事が終わって自宅に帰るまでに、まず父母の家に先に行く生活が続いていました。
それが今も毎日続いています。最近は、母が私の帰る時間を見計らって、表の道まで出て待つようになってしまいました。する事がないんですねぇ?
現役サラリーマンの団塊おじさんとしては、毎日定時退社に務めていますが、やはり交通事情もあり五分や十分母の家に行く事がおくれることがあります。
そんな時、母は「今日は遅かったんやね」といってくれます。そして私が、仏壇にお線香とローソクを上げて、父が好きだった両切りピースに火をつけてお仏壇にお供えをするのを、横からみていて、「有難うね」といってくれます。
それから、母の今日一日の話を聞き、そして我が家に帰る事が団塊おじさんの日課になりました。
今まで多くの葬式にお参りしました。それで終わりでした。でも、残された遺族の生活は葬式が終わってから始まるのです。
ほとんどの人がそうであるように、夫婦二人であった生前の生活から、一人暮らしを余儀なくされてしまいます。今まで話し相手がいた生活から誰とも話す事が出来ない生活になってしまうのです。
一番心配な事は、食事のことです。今までは老いたりとはいえ夫婦二人で食事をする、そのために食事を作るという生活に対して張り合いがあったのに、一人になってしまうと、
「自分ひとりならそこら辺の、あるものを食べておけば良い」と自分のために食事をひとり分だけ作る事を邪魔くさく思ってしまうようになってしまったことです。
食は健康の基本です、いつまでも母が健康でいて欲しいと子供が望む事は、自然な願いではないでしょうか?
こころは青春の団塊おじさんでした
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