NO115 生活の張り合いとは? 平凡は非凡?

団塊おじさんの母は84歳の後期高齢者で、父が亡くなってから一人暮らしをしています。
父の生前は、老いたりとはいえ夫婦二人の年金生活をしていました。話し相手がいたのです。

老夫婦の一人が亡くなった場合、残された方は、これからの生活の張り合いを何に求めて毎日の生活をしていけば良いのでしょうか?

まさか毎日仏壇に向かって話をするだけの生活ではあるまいし、やはり人間は、毎日の生活の中で、その時思った事を、話す相手があって、

共にテレビをみて笑ったり、哀しんだり、感想を言い合ったり、ある時はけんかをしたりして、初めて「あたま-脳」に刺激を受け、毎日の生活に張り合いが出てくるものなのではないでしょうか?

ある日、突然話し相手がいなくなって、一人暮らしの生活が始まったとしたら、皆さんどうします?
最初は「気楽でいいよなぁ・・・」「たまには一人でゆっくり・・・」「孤独を楽しんでまーす」

等といわれるかもしれませんが、自分達の毎日の安定した生活があってこそ「非日常の生活」にあこがれるのであって、

例えば海外旅行や温泉旅行などたまに行って、戻るべき日常の生活があるからこそ、楽しんで帰ってこられるのではないでしょうか?  もし帰るべき家がなかったら・・・どうします?

毎日の家庭の食事があるからこそ、気分転換にたまには外食をしたいと思うのではないでしょうか?
毎日が、フルコースであったり懐石料理であったりしたら「たまにはわが家の料理が食べたい!」と思うのではないでしょうか?

安定した日常生活があるからこそ、非日常へのあこがれ・逃避ではないかと思います。

ということで、日常生活が夫婦二人暮らしの生活から、母一人の生活になってしまった事に対して、息子としてこれからどのように母をサポートしていけば・・・、

天命までの余生を「張り合い」を持って生活してもらえるのか、新しい悩みが出来てしまいました。でも、子供っていつまでも親に元気でいて欲しいって、皆さん思いませんか?

こころは青春の団塊おじさんでした

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プロフィール

ニックネーム
団塊おじさん
性別
団塊世代の男子
誕生
1948年(昭和23年生)
子年生
血液型
B型
趣味
格安ツアー、温泉、四国八十八か所巡拝、テレビのお守り
好きな言葉
義理・人情
コメント
還暦を過ぎた後も、年金受給年齢まで現役続行宣言をしています。団塊世代の身近に起こっている介護の問題や、これからの年金生活についても皆さんと一緒に考えて行きたいと思っています。
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