NO 191「おくりびと」と終末看護 ~その2
団塊おじさんの後期高齢者であった90歳の父がおくりびとになった昨年8月から半年が過ぎました。その時のおくりびとへの思いを忘れることができません。
いよいよ父の死が近づいてくると、団塊おじさんは、「まだ父を死なせたくない」と思う心と、「死を現実のものとして親の死を看取ることが子供としてのつとめだ」と思う心の葛藤がありました。
毎日、自宅のベットで後期高齢者の90歳の父の病状が進んで行くのを見守り続け、容態の悪化を受容しました。
昨日まで声を出すことができたのに・・・、
昨日まで手を握り返す力があったのに・・・、
昨日まで水を飲み込む力があったのに・・・と思いながら
看護をしている家族は、容態の変化を、父の体力の衰えとしてとらえ、毎日受け入れました。そしてその連続が、最後の時を迎えるにあたり、家族としてできるだけのことはしたと心穏やかに思えるようになったのだと思います。
病院や施設で、チューブにつながれ、病人本人や家族、そして医者もどうすることもできない三すくみの状態になってしまわなくて、本当に良かったと思いました。
「納棺師」といわれる職業は自宅で最後を迎えた家族にとって、最初に死が現実のものとして受け入れられなければならない儀式をする職業の人です。
実は、京都の葬儀社でも、名前は違いますが同じような「儀式」が行われています。
「湯灌」と呼ばれる儀式です。「湯灌」とは亡くなった人を洗い清める儀式のことですが、どんなふうに行われたかを団塊おじさんの後期高齢者の90歳の父の場合でお話しましょう
相続手続支援センター京都で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
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