NO 211 本土最南端「佐多岬」は青春の一ページ
団塊おじさん達の世代は、カニ族世代と呼ばれた一時期がありました。昭和40年代前半、お金がなくてもどこか遠いところに旅に出たい多感な世代でした。
当時大きなリュックサックを背負って安宿やユースホステルに泊まって、北海道を何日もかけて旅行する若者をリュックサックをカニに見立てて「カニ族」と呼ばれていたものでした。
そのカニ族は、日本の国土の最北端、最南端、最西端、最東端の地に立ち、海の向こうの、はるかかなたの異国の地に憧れ、若者の青春の血をたぎらせたものでした。
というわけで、40年前の団塊おじさんがまだ学生時代の頃、そのすべての地を回ったことがあるのですが、そのうちの一つ、日本本土最南端「佐多岬」に今度は夫婦で来ることが出来たのです。感無量でした。
ちなみに、当時の日本最南端はまだ沖縄が復帰する前で、鹿児島県与論島が最南端の地でした。団塊おじさんが最初に訪れた昭和39年は、島の年間観光客がわずか800人だったと記憶しています。
(話はそれつづけますが、与論島には学生時代に3回訪れています。二回目に訪れた昭和40年の観光客は6000人、三回目の昭和41年の観光客は2万人と爆発的に増え、当時カニ族が日本の最果ての地に立つことが憧れだったということが数字の上でも明らかです)
まさか40年後の還暦を過ぎてから、夫婦二人で、太平洋、東シナ海、錦江湾に面し、はるかに種子島、屋久島を見ることが出来る『佐多岬』、この眼下にエメラルドブルーの大海原が広がる、佐多岬の地に来られるとは、思っても見ませんでした。
学生時代に感激して立った、「ここ本土最南端の地 佐多岬」の碑に、今度は夫婦二人で立ち、記念撮影をしました。まあ、夫婦で青春?を思い出したわけですが・・・。
多感であった青春時代に訪れた地を、定年を迎えてから、今度は夫婦で訪れることが出来た喜びを十分に味わうことが出来た佐多岬でした。
相続手続支援センター京都で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
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