NO 264 村営船『 第二 十島丸 』総トン数253㌧
団塊おじさんは昭和43年大学2回生の時に、一人旅でトカラ列島中之島に行ったことがあります。
その当時、鹿児島市内にある十島村役場で、村営船第二 十島丸(253㌧) の出航日と出航時間を聞いた記憶があります。
みなさん、その時、十島村役場の職員はなんと答えたと思います。???
「第二十島丸の出航は何時かわかりません。荷物が集まれば出航します。」???
「出航時間は?」
「乗船されるのでしたら、朝から港で待っていてください、一番確実に乗船できます」???
昭和43年の話です。よほどの物好きでない限り、トカラに行こうなんて思うはずはないですよね・・・
でもその頃多感な学生であった団塊おじさんは、ユースホステルを朝早く出て、じっと鹿児島港で村営船第二十島丸の出航を待ちました。
時々、荷物が積み込まれます。荷物といってもみかん箱に入った島民が注文した生活用品・食料品ばかりです。
船といっても、村営船である第二十島丸はわずかに総トン数253トン、
よくもまあ、あんなに小さな村営船で、東シナ海を一晩揺られてトカラに行ったものだと今から思えば思います。
昼過ぎに島の人たちが何処からともなく集まってきて、すっーと村営船第二十島丸に乗り込みました。 あれっ???
もう、乗船してもいいみたいです、リュックサックを背負って村営船第二十島丸に乗り込みました。狭い船室だった記憶があります。
当時、新造あまみ丸、興南丸、八汐丸などが鹿児島港から奄美大島や与論島まで運航されていました。その船にも何回か乗りましたが、それらの船に比べてほんとに小船でした。
話は横道になりますが、奄美の島々の素晴らしい濃青色の海が大好きなんです。
学生時代に与論島・沖永良部島・徳之島・奄美本島・喜界島、もちろん種子島・屋久島など合計10回近く奄美諸島へ訪れています。その中の一回がトカラ列島だったのです。
錦江湾を出た村営船第二十島丸の甲板から見る、薩摩半島の長崎鼻に沈む夕日が素晴らしかったことを覚えています。
島の人は狭い船室なんかには入りません。みんな甲板に雑魚寝でしていました。
たくましい、と言おうか、私達がひ弱なのか???、
皆既日食を観に行く皆さんはきっとたくましい方々ばかりですよね。
ぜひ大自然のドラマを堪能してきてください。
同時に、トカラ列島のあの濃いブルー、深みのある濃紺色、濃青色、う~ん、言葉では表現しきれない、とにかく素晴らしい大自然の存在を存分に楽しんできてください。
人間って、大自然の前では小さな、小さな存在でしかない生き物・・・、
感動したことを、人に表現して伝えるべき言葉を、自分が持ち合わせていないことへの、ボキャブラリ・単語力のなさを感じるのは、きっと私だけではないと思いますょ
相続手続支援センター京都で 相続相談と遺言相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: NO 264 村営船『 第二 十島丸 』総トン数253㌧
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.souzoku-kyoto.com/mt/system-tb.cgi/283


コメント(0)
コメントする