NO 294  昭和20年代の大文字送り火の思い出

8月16日午後八時は、京都の夜空に赤々と、大文字の送り火が点灯されます。
もう50年も前の記憶が鮮やかに蘇えります。小学校時代におじいちゃんに連れられて大文字山に護摩木をあげに行ったときの記憶です。

当時の昭和20年代は、まだ京都市内に市電が元気良く走っていました。

送り火当日の16日早朝、始発の市電に乗ります。自宅近くの四条烏丸から銀閣寺まで行く直通の市電はありません。ぎおんで乗り換えて東山通を北上し、今出川通を右にまわって銀閣寺前で降ります。

お盆の朝、早朝五時過ぎ、薄明の空に大文字山が存在感を示しています。これから登る山です。大文字山の上り口には、どこから現れたのか、もうたくさんの人が護摩木を買って、その場で願い事と名前を書いています。

護摩木を持って大文字山登山口から登り始めます。すぐに汗をかきながら、お年寄りから子供まで、みんな一列になって、ゆっくりと朝まだ早い大文字山を登ります。

一時間もかからないうちに、大文字山の中腹にある「火床」に着きます。
大の字の真ん中の火床に、護摩木を置くところがあります。そこからそれぞれの火床へは係りの人が忙しそうに大の字の道を行き来して、護摩木を丁寧に火床へ積み上げていきます。

眼下にはマッチ箱のような京都盆地が一望できます。
また、暑い夏の一日の営みが眼下で始まります。
大文字山中腹からの下りは20分くらいだったように記憶しています。

銀閣寺まで降りてきて、近くの店でラムネを買ってもらうことが楽しみでした。
この日は朝早く起きて大文字登山をしたので、一日中眠くてしかたありません。

しかし、自分が持って上がった護摩木が燃えて大の文字が京都の夜空に浮かび上がることは子供心にうれしい事でした。こうして八月十六日の長~い一日が始まります。

そして夜八時、点灯。眠い眼をこすりながら、市電が走る烏丸通から大文字を見ました。
大文字が終わると、そろそろ夏休みの宿題が気になり始めますが、翌週の八月二十三日と二十四日の地蔵盆がまた子供心に楽しみでした。

当時、夏休みに旅行なんかに連れて行ってもらうなんて夢にも考えられなかった時代でした。それでも京都は、祇園祭から大文字、地蔵盆まで、楽しいお祭り行事が続き、子供心に夏の思い出をしっかりと胸に刻むことが出来ました。

団塊おじさんの小学校低学年の夏の日の大文字送り火の思い出でした。
お粗末っ~。

相続手続支援センター京都で 相続相談と遺言相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした

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プロフィール

ニックネーム
団塊おじさん
性別
団塊世代の男子
誕生
1948年(昭和23年生)
子年生
血液型
B型
趣味
格安ツアー、温泉、四国八十八か所巡拝、テレビのお守り
好きな言葉
義理・人情
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還暦を過ぎた後も、年金受給年齢まで現役続行宣言をしています。団塊世代の身近に起こっている介護の問題や、これからの年金生活についても皆さんと一緒に考えて行きたいと思っています。
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