NO 307 1人の主人に仕えた直江兼続と、9人の主人に仕えた藤堂高虎

最近読んだ本に「影の人 藤堂高虎」 徳永真一郎著 毎日新聞社刊 があります。
藤堂高虎は、織田信長の時代から、二代将軍徳川秀忠の時代まで、生涯に9人も主君を替え、激変する時代の流れを正確に読み取り、常に時代の天下人から信頼され、重用された男です。

奔流するその時代の流れにあって自分の進むべき道を見切る力を持った男、そして時代を制する船がどの船長の船かを嗅ぎわけ、乗るべき船の選択を常に誤らなかった眼をもった男、藤堂高虎という武将。

どんな「主人」に仕えたのでしょうか、順を追って簡単にご紹介しましょう。

今の滋賀県犬上郡藤堂村に生まれた藤堂高虎は、最初に使えた武将は、戦国時代そこを治めていた、あの『浅井長政』①。

ちなみに「初陣」は、浅井・朝倉連合軍と信長・家康連合軍が戦ったあの「姉川の合戦」

浅井長政が破れる前に、長政を見限って織田方に寝返った『阿閉貞秀』②に仕えるが
わずか一ヶ月で阿閉貞秀を見限り、同じく織田方の『磯野員昌』③に仕える。

そこを飛び出ししばらく諸国を放浪後、今度は『織田信澄』(信長の甥)④に仕え、
そこで八十石の扶持を呈示されるが、「八十石では馬を飼うこともできず、イザというときお役に立てない」と、郷里の藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町)に帰ってしまう。

村の和尚に紹介してもらい、今度は、『羽柴秀長』⑤の許へ、
三百石の扶持を呈示され、「仕えるならこの武将に」と、
このあたりから、高虎の運が巡ってきます。

ちょうどその頃、織田信長が安土城を築城しており、秀吉の弟の秀長が、その普請を任されていて、高虎は安土城築城のノウハウを学びとります。

この現場にいたのが、同郷の甲良大工という偶然、
また城の石垣積みの技術も同郷の穴太衆という偶然。

(偶然っていうのも、その人の運の強さですね)

秀長から「普請現場で何を考えている」と問われ、藤堂高虎は
「攻められる立場になって築城を考え、どうすれば攻め手から、守り抜くことが出来るかを考えています」と答えたという。

(今のサービス業でいう「お客様の目線に立って、提供するサービスの質と内容を考えましょう」という考え方と、全く同じで、かれはそれを400年前に実践した男です)

秀長の死後、秀長の養子『豊臣秀保』⑥に仕えますが、秀保も若くして世を去ります。
秀長の菩提を弔うため高野山に隠棲しますが、

秀吉がその才を惜しんで高野山を降りるように勧めます。それで今度は『豊臣秀吉』⑦に仕えます。

秀吉が生死をさ迷う頃から、『徳川家康』⑧に近づき、関が原に東軍として参加します。
家康の死後、『徳川秀忠』⑨に仕え、徳川の譜代大名以上に信頼される大名として、戦国の激動の時代を、常に天下人近くに侍りながら、見事に時代を生き抜いた男、藤堂高虎。

 すみません、もう少しお付き合いください。これからがポイントです。

九人も仕える主君を替えた男「藤堂高虎」に対して、同じ時代に藤堂高虎とは好対照の、生涯一人の主君(主人)にしか仕えなかった男がいました。

それは、あのNHK大河ドラマ天地人の主人公「直江兼続」です。

直江兼続は、上杉謙信にその才を見出され、謙信の養子である景勝に幼い時から小姓・近習として仕え、生涯ただ一人の主君上杉景勝の執政としての主君からの信頼厚く、

最後まで上杉家の執政職として、秀吉、家康という天下人を相手に「上杉家」を守り抜きいた男です。

歴史小説って対比するとよりその人の人間性や生き方が伝わってきて面白くなります。皆さんもぜひご一読されて、藤堂高虎の生き方、直江兼続の生き方を味わってみられては如何ですか?。

ご清読ありがとうございました。

相続手続支援センター京都で 相続相談と遺言相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした

 

 


 

 

 


 

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1948年(昭和23年生)
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