NO 351 お大師信仰と高野山に眠る戦国時代の武将
四国八十八ヶ所の巡拝の最後は、今でもお大師様が修行をしておられるという、高野山奥の院へのお礼参りです。
先日、久しぶりに高野山にお礼参りに行ってきました。
樹齢1000年の杉木立の中を奥の院へと、お大師様の修行の邪魔にならないように気をつけて静かに歩きます。
そんな高野山奥の院はまた、戦国時代から江戸時代にかけての名だたる大名達のお墓・墓所があることでも有名です。
あの戦国時代から江戸時代にかけて、敵・味方に分かれて戦った、勇猛な武将たちも、ここ高野山では、敵味方の区別なく祀られています。
例えば、
・あの戦国時代を代表する川中島で五回とも六回とも戦ったといわれる上杉謙信の墓と 武田信玄・勝頼 親子の墓。
・本能寺の変で亡くなった織田信長の墓と信長に謀反した明智光秀の墓。
・秀吉が光秀を破った大山崎の戦いで、日和見して光秀に味方しなかった筒井順慶の墓
・秀吉の天下取りの前に立ちふさがった、信長の妹、お市の再婚相手、柴田勝家の墓
もちろん豊臣家の墓所もあります
これだけ揃えば「関ヶ原の合戦」を、ここ高野山で再戦できそうな西軍の武将たち
石田三成の墓、長州・毛利家墓所、阿波・蜂須賀家墓所、薩摩・島津家墓所
もちろん東軍の歴戦の武将たちも眠っています
加賀・前田家墓所、筑前・黒田家墓所、因幡・池田家墓所、
伊達政宗の墓、結城秀康の墓、榊原康政の墓、前田利長の墓、
時代は少し下がりますが、
千姫の墓、
浅野内匠頭墓所、元赤穂藩士大石内蔵助良雄以下赤穂四十七士の墓
幕末の桜田門外の変で散った
井伊掃部頭(直弼)の墓もあります。
また、時代を遡れば
平安末期から鎌倉初期の僧侶で、浄土宗の開祖として知られる法然上人の墓、
法然の弟子で、浄土真宗の開祖として知られてる親鸞上人の墓 もあります。
歴史が好きな団塊おじさんにとっては、興味が尽きない武将・大名の墓・墓所がたくさんあるところです。
(全墓標の約40%が戦国時代から江戸時代に活躍してその名を残した大名達の墓所だと言われています)
では、どうして、こんなにたくさんの武将達の墓が高野山にあるのでしょうか?。
一説では、高野山に今も修行を続けるお大師様・空海の「大師信仰」が、この地を戦乱の炎から守り、むしろ歴代の天皇や為政者たちは進んでこの地を庇護し、菩提所を造っていったといわれています。
信長が「比叡山焼き討ち」をしたあと、高野聖に見られるように、高野山に逃げ込む武将が後を絶たず、そのため信長は比叡山焼き討ちのあと、高野山の焼き討ちを考えていたと言われています。
しかし、高野山に戦乱の炎が燃えあがるより前に、本能寺で光秀の謀反により信長は亡くなってしまいました。何かの因縁かもしれませんが、その高野山を焼き払ってしまおうとした信長も、光秀とともに高野山に今抱かれて永眠しています。
歴史って面白いものですね、
あの荒くれ戦国武将たちに指一本触れさせなかった『お大師信仰』って・・・、
時代は戦国時代から、安土・桃山・江戸・明治・大正・昭和・平成と移り変わっても、『お大師信仰』は健在です!
相続手続支援センター京都で 遺言相談と相続相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
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