NO 364 博物館 網走監獄
みなさん「網走」という言葉から何を連想されますか?
網走→番外地→う~ん・・・、健さ~ん・・・、???
網走→刑務所・・・
いずれにしても刑務所が、今、網走観光の中心になっていることは事実です。
「網走監獄」が博物館という呼び名で一般公開されているんです。みなさんもWebサイトで網走監獄を一度ご覧ください。監獄食、塀に隠された秘密のレシピ・・・、監獄へ行こう・・・???等々刺激的な事がいろいろ書いてありますよ・・・。
その監獄に入るのには、1050円を支払って入ります。もちろん無料で監獄に入ることも出来ますが、その場合、こちらが「もう監獄から出たい」といっても、一度無料で入ったら最後、何十年もそこから出る事は出来ません・・・???
というわけで、私たち夫婦は北海道旅行の最初の見学地に、有料で1050円を支払って、博物館 網走監獄に入監しました。
11月も終わりになると、もう四時には真っ暗になってしまいます。私たちは空港から直行したのですが、もう四時を回って真っ暗でした。閉館は五時ですが、監獄を見る物好きな見学者なんて?、私たちのほかに一組いるだけです。
しかし、実際に網走刑務所で使用されてきた建物だけに、野外の博物館とはいえ説得力は十分にあります。しかも実物大の人形が当時?を再現してあちこちにいて、くら~い舎房(獄舎)の独房だったスペースに人形が当時の獄衣のままで置かれていると、もう・・・、
「なんで、お金を払ってこんな怖い思いを・・・」と思いました。
博物館 網走監獄の説明書によると、
網走刑務所は明治の初期に作られました、明治初期の富国強兵の下で、北海道の開拓のためには、まず、人を運び、物を運ぶことが必要でした。そのためには道路を作ることが必要でしたが、開拓のために道を作るといっても、原始林を開墾することは大変なことで、民間人に頼めばとんでもない賃金と支払わなければなりませんでした。とても国の財政にそんな余裕はなく、そこで考え出されたのが、囚人を労働力として使うことでした。
囚人を使えば費用は安く、当時の罪人に対する考え方からすれば、罪人なのだから作業で死んでも悲しむ者はいない、囚人の数が減れば監獄費の節約にもなる、原始林の開墾は国策としてまさに一挙両得だと考えられましたが、「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と、当時の国会で追及されるに及び、明治27年廃止されました・・・・と書かれていました。へ~ぇ、う~ん、そうなんやぁ~、・・・
かっこいい高倉健の網走番外地とは想像もつかない過酷を超える世界が、網走の過去にあったのでした。そんな事実を知ったことは良かったのでしょうが・・・、
やっぱり観光で来るにしては、あまりにも重い歴史を持つ事実の場でした。・・・・。
北海どーって、でっかいどー、ではなく、北海どーって、重いどー・・・???。
相続手続支援センター京都で 遺言相談と相続相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
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