NO 381 三本木町と北の政所
団塊おじさんが勤務する相続手続支援センター京都は、京都市中京区東洞院丸太町下ルにあります。その会社の入り口近くに町内用の消火器が設置されています。その消火器を入れる箱に町名が書かれています。町名は「三本木町」。
みなさん、三本木町って、ある歴史に登場してくる有名な人物が住んでいたところなのですが・・・、???、みなさん、その人物って誰だか判りますか?。
その人物とは、あの太閤秀吉の正妻「ねね」こと「北の政所」なのです。
1598年に秀吉が没すると、秀頼と共に大坂城に移り住んできた淀君に本丸を明け渡し、自らは大坂城の西の丸に移り住みます。その後
徳川家康が、秀吉亡き後の天下の実力者としての存在感を高めるために、伏見城から、秀頼の住む大坂城に移りたい意向を周囲に打ち明けます。
藤堂高虎や織田有楽斎らは家康の内意を受け、大坂城西の丸に住む北の政所にそのことを話します。そして1599年、秀吉の妻ねね・北の政所はこれからの世は家康の時代になること、そのために家康の意向を受け入れて豊臣家の存続を図ることを考え、大坂城の西の丸を徳川家康に明け渡し、自らは・・・
と、ここまでは皆さんもご存知の話。その「ねね」さんが大阪城西の丸から引っ越してきた先が、これがなんと、ここ「三本木町」なんです。
歴史書にも御所の南側・・・というの記述があり、現在の相続手続支援センター京都があるあたりにねねさんが引っ越してきたことは間違いありません。
今から400年の昔、あの秀吉の正妻「ねね」さん(あまり気安く呼ぶこともできませんが、そこは近所づきあいの?よしみで、ねねさん許してくださいね)が住んでいた近くに今自分がいるっ・・・
あの徳川家康が、伊達政宗が、上杉景勝が、毛利輝元が、もちろん福島正則や黒田長政・・・もう数え上げたらキリがありません。そんな歴史を動かしたあの武将たちが、
北の政所に会うために相続手続支援センター京都の近くをうろうろしていたなんて・・・あ~ぁ考えただけでも、もう感激っ・・・
三本木町という町名の発見は、歴史の面白さを改めて感じました。
京都って本当に奥が深いところなのですねぇ・・・・・・
、
皆さんもご自分の住む町の、町名の歴史を一度遡られては如何ですか?
新しい発見があるかも知れませんよ???
相続手続支援センター京都で 遺言相談と相続相談で頑張る こころは青春の団塊おじさんでした
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