NO 386 織田信長の経済政策 その1

お正月に一冊の本に出会いました。火坂雅志著「沢彦(たくげん)」(発行 小学館)です
物語は織田信長の師僧として、戦国乱世を終結させ、信長に明確な国家戦略を与え続けた男の眼から見た織田信長記です。

その話を読み進むうちになぜか今の政権とダブって、これからの政権の行方を暗示して考えさせられるところがあるように思えます。その一部をご紹介したいと思います。

主人公 沢彦 は、戦国の他の大名がなしえなかった上洛を、足利義昭を奉じて果たして将軍職に就けた後、「国を治めるためには明確な国家思想が必要」と信長に説きます。

「いかに強大な軍事力(与党・議席数)で政権を握っても、政策そのものに万民を納得させる妥当性(国民の支持・支持率)が無ければ、政権は消え去るしかない・・・」と説きます。

ここで、信長が桶狭間の戦いで今川義元を破り、天下獲り に名を挙げた時の戦国時代末期の、都を取り巻く経済環境について少し触れておきます。

戦国乱世を生き抜くために商人は、その頃大きな力を持っていた寺社勢力にその庇護を求め、その結果大きな利権を手にする事が出来ましたが、寺社勢力にも大きな権益を与えることになってしまいました。いわゆる『座』の存在です。

「油座」「材木座」「紙座」「呉服座」等の『座』は、庇護と引き換えに寺社への上納金(政治献金)を納めることで、商人(利益団体)と寺社(政権政党)との間の利害関係が成り立ってきました。

また、当時は関所を通るのに「関銭」(税金)を払わなければなりませんでした。
関所といっても有名な鈴鹿峠の「鈴鹿の関」のような軍事上の防衛拠点としての関所ではなく、寺社(国税)、公家(地方税)、地侍(市町村税)などがそれぞれ勝手に関所を設けて道を往来するもの(国民)から関銭と呼ばれる通行税(税金)を取り立てていました。

例えば、大坂から京の都まで淀川(高速道路)を利用した場合、380箇所もの関所(料金所)が設けられ、淀川を上り下りする船から関銭(高速道路料金)を徴収していたといいます。

船で荷を運ぶ商人(トラック業者)は関所を通過するごとに金をとられるたのではたまったものではありません。大坂(生産地)から淀川を溯って京の都(消費地)へたどり着く頃には少々の儲けなどは吹っ飛んでしまいました。

そのため、当時の京の都の物価は高騰し、結局、しわ寄せはすべて消費者に負担させられた時代でした。

なんだか平成の今の時代と似通っていると思いませんか????

相続に関する総合支援に 実績と実行力のある 相続手続支援センター京都 で頑張るこころは青春の団塊おじさんでした

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1948年(昭和23年生)
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