NO 387 織田信長の経済政策 その2

お正月に一冊の本に出会いました。火坂雅志著「沢彦(たくげん)」(発行 小学館)です
物語は織田信長の師僧として、戦国乱世を終結させ、信長に明確な国家戦略を与え続けた男の眼から見た 織田信長記 です。

昨日の続きをお話します。

いわゆる戦国乱世の時代は、寺社勢力や公家勢力、地域有力勢力が行った『座』や『関所』などの規制にがんじがらめに縛られた、「競走なき利権社会」の時代でした。

そんな既得権益にすがる旧勢力に、完全と立ち向かったのが、織田信長 でした。

彼は、澱み、硬直した社会構造を打破し、経済を立て直し、活性化させるために、まず織田家領内にある、すべての関所を撤廃しました。そして楽市・楽座を命じました。

関所の撤廃(規制の撤廃)により領内の道の往来が自由になり(関銭が不要)、物流コストが軽減されました。

一方、楽市楽座により、いままで独占され既得権化していた規制を排除して、自由に取引できる市場(経済の自由化)をつくりました。また、税の減免を通して新興商工業者(ベンチャー企業)を育成することにより、領内(市場)の経済の活性化を図ったのです。

この織田信長が取った政策は、なんだかどこかの政党のマニュフェストに書いてあるような政策と同じではありませんか?。

国の形を大きく変えるためには、既得権益(○○省、△△省・・・)を持っていた一部の勢力(官僚)から不満の声が出てくることは、歴史を振り返ればむしろ当然の声です。

人(高級官僚)は一度見た、甘い夢(天下り)を忘れられるものではありません。

しかし、それを断ち切り(事業仕分け)、新たな仕組みを作ることに、踏み出す勇気を持たなければ、新しい仕組み(税の再配分)を手に入れることは出来ません。

織田信長はそれを実行しました。
案外知られていない彼の政策の一つに「街道の整備」があります。街道整備なら家康が始めたのでは・・・、と思われるのも無理からぬところがあり、今まで信長を紹介する書にあまり書かれていませんでした。

信長は、戦国乱世時代の荷車がすれ違い出来ないような道を、道幅三間半(約6.3㍍)に拡張し、険しい道を平坦にして、石を取り除き、商人が歩きやすい道を作りました。
また、道沿いに涼を取りやすいように松や柳の並木を作りました。
そして人の往来、物流の改善を図り、商業の活性化を図りました・・・。

家康以前に、信長が最初に物流・往来の視点から、「道という資源」を考えていたのですね。
この本に出会ったことで、信長観が少し変わりました。

少なくても比叡山焼き討ちなどの悪逆非道の冷酷な信長の前に、規制撤廃・領内の整備を果断に実行した信長がいたこと、そして何故進取の気性を持った信長が冷酷無残・悪逆非道の信長に変心して行ったのかが、この本には鮮やかに描かれていました。

信長好きの皆さんは是非この本を一読されることをお勧めします。

年齢を重ねると、今までの知識・経験・体験を基本に物事を考えがちです。もちろん過去の経験は大切ですが、過去の経験や古い知識だけにとらわれていては、これからの人生面白くも何もありません。

新しい知識を絶えず吸収して、新しい発見をして、心を躍らせて、新鮮な感動を得ることは、団塊世代や人生の先輩諸氏には老化防止に有効な手段ではないでしょうか?

これからの人生をより豊かに暮らしていくために、今年一年も、いろんな情報・知識を吸収して、自分自身を磨いていきたいと思います。

相続に関する総合支援に 実績と実行力のある 相続手続支援センター京都 で頑張るこころは青春の団塊おじさんでした

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1948年(昭和23年生)
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還暦を過ぎた後も、年金受給年齢まで現役続行宣言をしています。団塊世代の身近に起こっている介護の問題や、これからの年金生活についても皆さんと一緒に考えて行きたいと思っています。
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