NO 395 弘法大師空海と遣唐使 その1

昨日に引き続き、四国の善通寺で行われた四国八十八か所霊場会主催の第43回昇補先達研修会で、講師として講義いただいた第83番札所 一宮寺 ご住職のお話です。
演題は「お大師さまのおこころ」です。


お大師様は不思議な強運の持ち主です。今日はその数奇な強運についてお話したいと思います。

奈良時代から平安時代の初期にかけて、260年間に何回も当時世界で最も繁栄していた唐朝から、最先端の知識や技術、文化などを取り入れるために、わが国から遣唐使節として幾多の秀才や名僧が選ばれて海を渡りました。

遣唐使は、選ばれて公費で行った者と、自ら志願して自費で渡った者がいました。
弘法大師空海は、804年、31歳の時に、自費で第16次遣唐使船団4隻のうちの第一船に乗って海を渡りました。

この時一緒に、後に天台宗を比叡山に開いたあの伝教大師最澄も公費で、空海と同じ第16次遣唐使船団4隻のうちの第二船に乗って海を渡りました。当時最澄は38才。

この第16次遣唐使船団4隻のうち、海を渡って唐にたどり着いたのは不思議なことに、空海の乗る第1船と、最澄の乗る第2船のみでした。

船団を組んで海を渡ろうとした他の遣唐使船の第3船、第4船はいずれも大嵐に遭難して唐にたどり着くことはできませんでした。

その空海の乗った船も、同じ大嵐で船の帆柱を折るなど難破寸前になり、大きく航路を逸れながらも、なんとか奇跡的に唐にたどり着きました。

しかし、漂着してたどり着いたところは、当初予定されていた港ではなく都から遠く離れた漁村であったため、村人から海賊の嫌疑をかけられ、その疑いが晴れるまで村での待機を余儀なくされます。

弘法大師空海にとった強運だったのは、このとき書を書く事が得意でなかった遣唐大使に代わり、空海が都の長官に嫌疑を晴らすために嘆願書を代筆したことです。

この嘆願書に書かれた鮮やかな『書』が唐朝の皇帝や多くの高官の目にとまり、空海が都に着く前から、空海の名前は一躍唐の都に広がりました。

早くも空海の能力の一端が発揮されたました。
そして空海が代筆した嘆願書により、日本国からの正式な遣唐使節であるという事が認められて、一行は長安入りを許されました。

当時の遣唐使節は一度渡海すると、20年~30年の間、次の遣唐船で遣唐使節がくるまで日本に帰国する交通手段はありませんでした。

遣唐船で海を渡った空海は当時31歳。20年もの間次の船が来るまで唐の都に、もしいたとしたら空海は50歳を超えてしまうことになります。当時の平均年齢が40歳~50歳であることを考えると、空海の日本での活躍や偉業などありえません???

弘法大師空海の強運はここでも発揮されました。
どうして空海は、次の遣唐使船が来る20年~30年を待たずに、わずか3年足らずで日本に帰国する事ができたのでしょうか?

お大師様が不思議な強運の持ち主といわれるゆえんは、次回に続けます・・・

相続に関する総合支援に 実績と実行力のある 相続手続支援センター京都 で頑張るこころは青春の団塊おじさんでした

 

 

 

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