NO 396 弘法大師空海と遣唐使 その2
昨日に引き続き、四国の善通寺で行われた四国八十八か所霊場会主催の第43回昇補先達研修会で、講師として講義いただいた第83番札所 一宮時 ご住職のお話の続きです。
弘法大師空海は第16次遣唐使船の船団の中で、暴風雨にあいながらも運良く難破した船に乗船せず、九死に一生を得て入唐する事ができました。
唐の都長安で空海は、青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約一年の間に胎蔵界・金剛界の灌頂を受けられています。
そして最後に伝法阿闍梨位の灌頂を受けられ、「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。
~南無大師遍照金剛~
そしてその後、大勢の弟子達が関わって門外不出の曼荼羅図や多くの仏教経典の書写を行い、それらの貴重な書物を日本に持ち帰る準備をしました。
ここで問題です?。
日本から遣唐使節として唐の都に来てから、まだわずか2年余しか過ぎていません。
次の遣唐使船が来るまで、まだまだ20年~30年あります。帰国する手段は船しかありません。
ではどうして弘法大師空海は、わずか3年足らずで日本に帰国する事ができたのでしょうか?もう一度当時の遣唐使船のことを思い出して見てください。
空海が唐の都に渡った遣唐使節は、西暦804年に派唐された第16次遣唐使船ででした。
日本から遣唐使節が派唐された遣唐使船は、西暦838年に派唐された第17次遣唐使船まです。
次の西暦894年に派遣される予定であった第18次遣唐使船は、菅原道真の建議により廃止されてしまいました。
では第16次で海を渡った弘法大師空海は、日本に帰国する最後のチャンスであった西暦838年に派唐された第17次遣唐使船で帰ってきたのでしょうか?
ちょっと待ってください、
弘法大師空海が高野山で入滅したのは、西暦835年です。西暦838年に最後の第17次遣唐使船が派唐される3年前に、弘法大師空海は高野山で入滅しているのです。
おかしいですね???、弘法大師空海はどうして日本に帰国したのでしょうか?
歴史って面白いですね、話が長くなるので帰国手段は明日お話します。
相続に関する総合支援に 実績と実行力のある 相続手続支援センター京都 で頑張るこころは青春の団塊おじさんでした
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