NO 426 東西本願寺と信長・秀吉・家康 その1
京都駅の近くに東本願寺と西本願寺があります。宗派総本山であると共に、いずれも京都を代表する歴史的建造物であるにもかかわらず、なぜか西本願寺だけが世界遺産に指定されているのです。みなさんご存知でしたか?
ところで我が家の宗派は、その世界遺産に指定されている西本願寺 浄土真宗 本願寺派です。檀家寺は照円寺といいます。
照円寺は近代日本画壇の巨匠、あの川合玉堂が明治24年 18歳の時、母とともに京都に出て、油小路御池上ル照円寺境内の離れを借りて住んでいた、とされる古刹寺です。
もうすぐお彼岸ですが、毎年その照円寺のご住職が、お彼岸の中日に我が家に来られ、お勤めが終わったあとに、お法話をしていただきます。そのお話をありがたく、毎年お聞きすることを楽しみにしているのですが、今日はその一端をご紹介します。
例えば浄土真宗についてのお話をしていただいたときです。といっても、難しい宗教くさい話ではまったくありません・・・。
そのお話の中で、ご住職の言葉からあの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の名前が出てきたのです。それで歴史好きな私には特にそのご法話が強烈に印象に残りました。
というわけで、お法話のお話は、浄土真宗と信長・秀吉・家康との関係についてです。
乱世の戦国時代を終結させる為に、東本願寺と西本願寺に本願寺を分裂させて両立させる必要があったその訳について、よければ一緒に歴史を振り返ってみませんか?
ご住職のお話の中の登場人物は、顕如様(父)・如春様(母)・教如様(長男)・准如様(三男)と、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。
天下統一を目指す織田信長の前に、最後に当時石山本願寺と呼ばれる宗門の一派が大きな社会勢力となって信長の前に立ちはだかりました。
1570年、両者の間に戦端が開かれ、石山本願寺は、雑賀衆をはじめとする門徒衆とともに、以降11年にわたる、いわゆる石山本願寺戦争に突入しました。
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こころは青春の団塊おじさんでした
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