NO 438 四国八十八か所の札所立地環境を考える その3
昨日からの続きです。
20年前のそのお寺は、本堂が古く、納経所もご住職の住居部分にあって、冬季は納経をしていただく場合、ご住職にとっても、納経の順番を待つお遍路さんにとっても、寒風に曝されながらの納経でした。
ご住職にとっても、お遍路さんにとってもお互いにあまり良い納経環境とはいえないお寺でした。
そのお寺に苦労して?たどり着く観光バス遍路やマイカー遍路にとって駐車場が狭いことは
これまた車を停めることに大変でした。
そんな悪い立地環境ですが、1200年前から続いている山奥の札所の立地環境を代える事は当然ですができません。そこで、そのお寺は考えました。お寺にとっては悪環境であるはずの山を切り開いて、大きな駐車場と参道を作ったのです。
それまでは山門近くに山肌に寄り添うように数台の駐車スペースしかなかった遍路泣かせの駐車場が、寺から少し離れ山が平坦になっているところにゆっくりした100台以上停められる駐車場を作られたのです。
(大型の観光バスは山の上まで登ってくる事ができないので、広い駐車スペースはマイクロバスとマイカー専用です)
ここまでの話ならば時代に合わせて誰もが考える事です。しかし、この札所は考えました。
造成した大きな駐車場から山門までの山道・参拝道(もちろん地道です)に、札所に参拝に来るお遍路さんの篤志家を募って、石灯籠を寄進させる事を考えたのです。
駐車場から山門までは歩いて10分~15分の距離があります。
なんの変哲もない山道に篤志家を募って石灯籠を寄進させ、その寄進した人の名前を石灯籠に刻んで後世にその篤志者の名前を永世伝える・・・
同時に、結果として何の変化もない単調な山道に石灯籠を設置したことで、「へ~ぇ、九州の人が寄進したはる・・・、あっ、東京の人もいはるで~・・・、」とお遍路さんの驚きの声が森閑とした山に聞こえるようになり、
山門に至る長い山道・参道も、石灯籠を寄進した人の名前を見ながら歩くことによって、知らぬ間に山門までたどり着く事ができるようになったのです。
何もない山を、駐車場をつくり、山門に至る新たな山道を作ることによって、その山道をお金を生み出す参道に変えたのです。無から有を生じさせたのです。
考えるに、石灯籠を寄進させることは、人が潜在的に持っている『欲』を刺激する深謀戦略がお寺側にあったのではないでしょうか?
お寺のその深謀戦略とは????
相続に関する総合支援に 実績と実行力のある 相続手続支援センター京都 で頑張るこころは青春の団塊おじさんでした
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