心は青春のブログです。
平成2年に巡拝を初めてから、今年は20年目の記念すべき年。「四国が呼んでいるぅ~」と今回もまた自分の中の何かを探しに四国遍路に出かけました。
山奥にある12番焼山寺を打つ時、山道・参道に立ち並ぶ石灯籠を見て歩きながら、私は考えました。
四国八十八か所のそれぞれの札所を、一つの企業にたとえてみよう・・・と。(恐れ多いことですが、お大師様スミマセン)
今年は、平成2年に巡拝を初めてから20年目の記念すべき年です。しばらくお遍路に出かけないと何か物足りなくなって、「四国が呼んでいるぅ~」と今回もまた何かを求めて四国遍路に出かけました。
今回の私の参拝順路についてご紹介しましょう。土曜・日曜を利用した一泊二日です。朝7時前にその日の最初の札所につくように、滋賀県の自宅を午前3時に出発しました。
今年は、平成2年に巡拝を初めてから20年目の記念すべき年です。しばらくお遍路に出かけないと何か物足りなくなって、「四国が呼んでいるぅ~」と言っていつも四国遍路に出かけます。
そんな四国遍路、八十八か所の札所の事についてや、参拝の仕方などいろいろな角度から紹介されていますが、今日は、何回もお遍路に行きたい気持ちになる『四国遍路症候群』に罹っておられる?方の為に少しアドバイスをしましょう。
このごろ何か物足りないなぁ~と思ってよく考えてみると、今年になってからまだ一回も四国のお遍路に行っていませんでした。
団塊おじさんにとって四国遍路は日常の食事みたいなものです。お腹が減ってくれば食事をする、そして満腹感を味わうように、四国遍路をするとアタマがスッキリするように感じるのは私だけでしょうか? 私って変??? う~ん・・・
下関唐戸市場にフクを買いにロングドライブに出かけたのですが、少し足を伸ばして古代ファンの私としては昔から興味を持っていた、「邪馬台国論争」九州説の根拠となっている、「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」と刻印された金印が発見された志賀島にわくわく気分で行ってきました。
わずか2.347センチ四方の小さな金印が、古代邪馬台国がどこに存在していたかという想像のロマンをかきたててくれます。
九州説と畿内説という言葉って、学校で勉強しましたよね。下関唐戸市場にフクを食べに行くついで?に、近年纒向(まきむく)遺跡の祭祀場跡が発掘されたことで古代史ファンには話題沸騰の、あの邪馬台国論争の一方の雄「九州説」の志賀島に古代ロマンを尋ねて見ることにしました。
九州福岡の志賀島は現在は、志賀島と福岡市をつなぐ「海の中道」といわれる「砂嘴(さし)」を渡って直接車でいくことができます。
食欲という「欲」は還暦を過ぎてからますます盛んになってくる『欲』ではないでしょうか?季節の旬を味わうことは、贅沢な楽しみの一つです。中でも最高の贅沢はその季節の旬をその産地に行って新鮮な食材のまま食することです。
例えば、「冬のカニ」おいしいですねぇ~、日本海の荒海から揚がったばかりの蟹を、その地で食することは至福のひとときです。
昨日に引き続きそのご住職のお話の続きです。ご住職のお話の中の登場人物は、顕如様(父)・如春様(母)・教如様(長男)・准如様(三男)と、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。
顕如様(父)派と教如様(長男)派の2派に分かれることになってしまった本願寺でしたが、この内紛は信長の死後、朝廷の仲介により、顕如様(父)と教如様(長男)との間で和解が成立しました。
朝廷の勅命により信長と講和した顕如様(父)は、石山本願寺の新門跡を嫡子で長男である教如様に譲り渡し、自らは石山本願寺から紀伊鷺森に退去されました。
我が家の宗派は、西本願寺 浄土真宗 本願寺派、檀家寺は照円寺といいます。昨日に引き続きそのご住職のお話の続きです。
ご住職のお話の中の登場人物は、顕如様(父)・如春様(母)・教如様(長男)・准如様(三男)と、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康です。
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